謙虚に日々精進


by mononofu009
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三河の名人を感ずる

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先日、妻の実家のある浜松に帰省したおり、その実家から車で程近いところにある、とある神社に出かけました。

その神社の第一印象は、稲作とみかん畑の中で、透明でひっそりとした、静かな佇まいの、山村の鎮守様という趣でありました。
その社名を、奥山神社と申します。


449年前、この神社に日夜、参籠祈願をして、神託を得られた剣士がいらっしゃいました。
尊名は、奥山公重。
開眼後、奥山休賀斎と号され、奥山神影流を興されました。

休賀斎殿は、本姓が奥平氏で、城主家臣の七男に生まれました。
奥平氏一族は元々、上野国(群馬県)にあって、故有りて三河国(浜松市と愛知県東部)に移住。
長じて、三河で無敵の剣士となった休賀斎殿は、更に修練を志して、甲斐国を訪れていた、同郷の上野、大胡出身の剣聖、新陰流の上泉信綱公と運良く出合い、入門を果たします。

其れがしの調べでは、休賀斎殿が信綱公に教えを受けたのは僅か2年弱。それで印可を受けたのですから、すでに完成の域にあったのですな。

その後、開眼を経て、徳川家康公の剣術指南役となります。

あまりにも主張の無い気に満ちた、奥山神社の初見印象は、失礼ながら、本地から遷宮(移築)された故の、神無き場所?
と、早合点しそうになりましたが、神社を後にして、とても大切で貴重な教えを賜わったという事に、気づきました。

それは・・・大袈裟に言いますと

懸・待・表・裏は一隅を守らず、敵にしたがって転変し、一重の手段を施す事・・・新陰流の極意、活人剣「転(まろばし)」の、心の有り様といった感じですかのぉ〜・・・・・

ええぇ〜と、因に其れがしも、
群馬県出身です(へへ笑)
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by mononofu009 | 2014-01-20 17:41 | お出かけ