3のつく日は
2012年 06月 03日

今日は、兄コブの月命日。
さて、6月3日といえば・・・
今から397年前の今日、大阪夏の陣において、徳川家康本陣を蹴散らし、家康に肉薄するも、志果たせずに、四天王寺側の安居神社にて、その生涯を閉じられた、真田幸村公の命日にござります。
諸説ござるが、其れがし、敢て、長くこの日本で親しまれてきた、真田幸村公と言う御名で御呼びいたしたい。
念のために申しますと、現存する、些少の記述文書をもってして、当時の人物に対し、伝承逸話の非を論ずる、資料偏重主義を、某は、一切、認めない者にござります。
僅かに残るピースを集めて、組み立てたパズルなど、所詮、完璧な物にはならないのと同様に、史料を盲目的に拠所とするリアリストも、結果的に憶測からは逃れられず、左様な浅慮で愚かな思考でもって、故人を過小評価する等、それこそ、無礼千万と心得ております。
あった事は、確かに在った。
その人は、確と存在した。
それでいいのです。
余人が何と言おうと、それでいいと、其れがしは思いまする。
生物は、死ぬために生きております。
人もまた然り。
人は死を、不可避と知りながら、その死がくるまで、喰らい、飲み、欲を満す事に努め、それ故に、理屈にあわぬ理不尽な行為をしてしまうものです。
醜悪、卑劣、脆弱 迷走、虚偽、愛憎、強欲は、死在るからこそ発する、人の宿命といえるでしょう。そういう生き物なのです。
故に、より確かであろう事実や真実や教義に、縋りたくなるものです。弱ければ己の信念など、容易く崩れますからのぉ。
言い換えるなら、何をどう聞かされ、見せつけられても、己に、確固たる信念や初一念があるなら、迷うものではございませぬ。
荘子曰く。
鷦鷯 森林に巣うも、一枝に過ぎず。
(森林に棲む鳥もその羽を休めるのは一枝で十分)
偃鼠は河に飲むも、腹を満たすに過ぎず。
(ネズミが水を求め、川の水を飲んでも、腹一杯が限界)
理屈や強欲、虚飾や矜持に拘泥して、雁字搦めで窮屈な人生より、己の初一念にそって、全力で専心する人生の方が、とっても清々しいように思えまする。
かの幸村公は初一念、真田の武略を世に示さんと、条件の最悪なブレーンと共に戦われ「日本一の兵」と賞せられ、今日尚、多くの尊敬を集められております。
今亡き兄コブは、倒れるまで家族とともに在らんと自身の意を貫き、病と闘い続けました。
己は何の為に生き、その為に何を成しているか?己の信念において迷いは無いか?
3日という日は、そう改めて自問いたす日にございますが、今日は幸村公の命日故、平生より尚の事でございます。
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